2009年06月01日(月) 【穏やかではない日々を望んで歩む生き方もある】 自分をいつも肯定してくれる人間にばかり囲まれてたら否定への耐性が減退し失われるので 仲間内にもほどほどに敵が(敵というのは語弊があるが)居た方が良い。 というか個々の感性、スタンスの間に生じる差異を突き詰めれば 対立点は当然に在る訳だけど、逐一其処まで掘り下げないからシーンの連帯は成立してる。 それは勿論そうであるが、種々踏まえた結果としての連帯でなく、連帯を前提としたが為の過度の仲間意識や平穏な空気を壊さぬ事を暗に第一とした統制に近い協調性の要求、 理解者のフリをした支配者との間に芽生えた精神的な主従関係は、僕らの主体性や「パンクス的な」自由の本質である(過去形にすべきか?)内外を問わぬ「否定の精神」を蝕む事でしょう。 その連鎖からなる「本質」を蔑ろ(ないがしろ)にした曖昧な環境で主張する自己もインチキリベラルの霧中、自ら曖昧なモノにしていて、 でも形としてのみ語りたがる「自己」とそれを取り繕う上っ面だけのショボいスローガンは実体を置き去りにしたまま横行する。 時には自身の言動を否定する仲間が居て丁度良いのだけれど、其れを具体的に言語化しないまま 「自由」という単語で片付けてるから釈然としない空気が蔓延する。 腫れ物に触るような臆病な連帯を維持しながら「楽しむ」っていうのにはいずれ限界が来る。 曖昧にしたまま時間を浪費し、注して(さして)自身も自身の闘争も考察せぬまま「いずれ」を迎え、そうしてやがて行き着く「限界」は 本当はまだ限界ではなく、漸く(ようやく)にして開けるべき扉を開く段階に差し掛かったというのに過ぎないのだけれど、 しかし「そうして」行き着いた(というより行き詰まった)、向き合わずして直面した限界からでは多分その真理とも向き合えないだろう。 20:30 <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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